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坂東の統一を目指して「平将門(たいらのまさかど)」から学ぶ

2017-12-16

将門の乱で知られる平将門。

その出自は明らかになっていませんが、903年頃に生まれたといわれています。

平安京に都を移し、貴族政治の礎を作った桓武天皇の末裔(まつえい)で、祖父は上総国(かずさのくに)の国司として赴任し、任期後もその地にとどまり財力や武力を蓄えていきました。

父・良将(よしまさ)も鎮守府将軍として東北の異民族をよく納めていたものの、将門が幼いうちに逝去します。

跡目を継ぐことになった将門は、一族の隆盛を目指して京に活躍の場を求めたのでした。

しかし、親の後ろ盾もなく田舎の出であった者に出世の芽はなく、京の上流貴族社会は居心地の悪いものでした。

そしてこの頃、伯父・国香(くにか)らによる相続争いが巻き起こり、将門は志半ばにして郷里に帰るのでした。

自らの強い武力により相続争いを収めた将門は、その勢いのままに国を治める国府をも攻撃します。

こうして坂東(関東)8カ国の国府を次々に攻めて国司を追放すると、自らを新しい天皇「新皇」と称するようになったのです。

しかし、朝廷がこれを黙って見ているはずもなく、藤原忠文を征夷大将軍として将門を討つように命じます。

その鎮圧軍が到着する前に将門は流れ矢に当たり落馬し、首を斬られます。

貴族による政治がほころび始め、武士が力を持ち始めるきっかけを作った30数年間の人生でした。