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律儀さで築いた加賀藩の礎「前田利家」から学ぶ

2017-12-22

加賀百万石の祖となった前田利家は、尾張国・荒子城の城主、前田利春の四男として1537年に生まれたといわれています(諸説あり)。

同じ頃に豊臣秀吉も生を受けており、後に利家は、天下人となった秀吉の厚い信頼を得ることとなります。

利家の父が織田信長の父・信秀に仕えていたことから、幼くして信長に仕え始めると、初陣で敵の首を討ちとり信長への忠誠を示します。

しかし思わぬトラブルがきっかけで織田家を追われ、その後、約2年間にわたり不遇の浪人生活を送ることになります。

この間、利家は多くの書物に触れて見識を深め、人間的に大きく成長します。

その後、戦功を認められ織田家帰参を許されると頭角を現し38歳で領地を与えられて大名となり、能登一国を任されるようになります。

本能寺の変で信長が没した後、織田家の後継を巡って恩人・柴田勝家と親友・豊臣秀吉が争った賤ケ岳(しずがたけ)の戦いでは、どちらにつくか苦渋の選択を迫られた利家でしたが、最終的に秀吉に臣従。

金沢城に拠点を置いて領国経営にも手腕を発揮し、栄華を誇った加賀百万石の礎を築きます。

そんな利家の人柄は、とにかく律儀だったとか。短気な一面もありつつ義理堅く細やかな心配りも欠かさない利家は、周囲の人望を集めました。

正妻・まつを大切にし、妻の力も上手に借りて出世を遂げた62年間の生涯でした。