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徳川の治世を盤石に「徳川家光」から学ぶ

2018-02-03

徳川家康を祖父に持つ江戸幕府3代将軍・徳川家光は1604年、江戸城西の丸で2代将軍・秀忠の長男として生まれました。

生まれながらに将軍の座を約束されていたはずが、弟・忠長が生まれると状況は一変。

両親は忠長を偏愛し家光は親に愛されず、家臣にも軽んじられて不遇の幼少期を過ごします。

事態が変わったのは家光が11歳の頃。祖父である家康が徳川家の跡継ぎとして家光を指名したのです。

19歳で3代将軍に就任するも当時はまだ父・秀忠が権力を握っていました。

28歳の頃、秀忠の死去を契機に家光の親政が始まると、その手腕を発揮していきます。

軍備の再編、武家諸法度の改定、諸大名の大規模なお家取り潰し、江戸城普請により大名の財政をひっ迫させるなどの大名統制、島原の乱を受けての鎖国政策の強行など、徳川の治世を盤石にしたのでした。

こうした幕藩体制の強化と並び、家光の偉業として知られるのが日光東照宮の大造替です。家康を祭るために秀忠により創建された日光東照宮は、当初かなり質素だったそうです。

家光は巨額の費用を投じ50棟を超える社寺に「陽明門」「三猿」「眠り猫」などを建造。

これは現在では高い歴史的価値が認められ、1999年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

自分を将軍にしてくれた家康への感謝と尊敬が、家光をこの大事業に向かわせたようです。