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岡山の税理士のウェブログ

五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)

2018-04-11

人の道徳を説いた性善説論者・孟子の言行録『孟子』から、現代の日本でもよく使われている成語をご紹介いたしましょう。

例えば部下2人が遅刻をして、ひとりが「コイツは10分も遅れましたが、私は5分だけです」と言ったら「五十歩百歩だ!」と説教された、なんて経験のある方もいらっしゃるのでは。

この言葉は「少しの違いはあっても本質的には同じ」という意で「目糞鼻糞を笑う」ともいわれます。

ちなみに故事のご本家・中国では「五十歩笑百歩」と記すので「目糞~」により近い感覚かもしれません。

では何故「五十歩」が「百歩」を笑うに至ったのでしょう?

原典は、梁という国の恵王が孟子に「私は隣国より善政を敷いているのに、人口が増えないのはどうしてか」と尋ねるところから始まります。

孟子は戦を好む恵王に対し、戦闘を前に「甲を棄て兵を曳きて走る(中略)、五十歩を以て百歩を笑はば、則ち如何」(鎧を脱ぎ捨て、武器を持ったまま逃げ出す兵士のうち五十歩で踏みとどまった者が、百歩逃げた者をあざ笑ったとしたらどうですか)と比喩をもって聞き返します。

恵王は「よろしくない。ただ百歩でないだけで逃げたことに変わりはない」と評すのですが、孟子はその答えを礎にして「恵王の政治も隣国の政治も所詮“五十歩百歩”ということ」であり「農業生産力や兵力として人口を求めるのではなく、全ての人が安心して豊かに暮らせる社会を築けば、民はこぞってあなたの国へやってくるでしょう」と諭したのでした。

ここで興味深いのは、兵の行動を「よろしくない」と断じた王自らが知らず知らず大きな過ちを犯していて、結局は自身が「五十歩百歩」であったという点でしょうか。

孟子は「人の振り見て我が振り直せ」と説きながら、かつ上に立つ者であれば人と比べるばかりでなく「本質を見失うな」と痛烈な批判を浴びせています。
組織を率いていると、つい「五十歩百歩だ、しっかりやれ!」と非難や鼓舞をしがちなもの。

しかしそんな時こそ、果たして自分がもっと深刻な誤りの源に立ってはいまいか、心の中の孟子に問い掛けてみませんか。