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教育が国の未来を創る「島津斉彬」から学ぶ

2018-06-06

薩摩藩の発展に寄与した島津斉彬(なりあきら)は1809年、江戸の薩摩藩邸で生まれました。

外国船が日本に来航し、江戸幕府の鎖国体制にほころびが見え始めた頃です。

この時期はイギリスを皮切りに産業革命が起こり、後に斉彬も薩摩で殖産興業政策を展開して日本近代化の礎を築きました。

そんな斉彬の才能を見いだし、かわいがったのが曽祖父・重豪(しげひで)でした。

早くから異国の文化や学問に注目した重豪は、中国語を話し辞書まで作ったといいます。

シーボルトが江戸に来た折には、若い斉彬を従えて面会し斉彬が海外に目を向けるきっかけを作りました。

島津家の後継者として期待されながら父・斉興(なりおき)がなかなか家督を譲らず、斉彬が藩主になったのは42歳の頃でした。

江戸の暮らしが長かった斉彬は、薩摩の家臣たちを見て学問が足りないと感じ、さまざまな教育施策を実行します。

「学問を好まぬ藩主は国家の大罪人」「学問のあり方は政治の根本」との信念から、自らも国内外の知識を貪欲に吸収しました。

民衆の暮らしの安定にも尽力し農業や火砲鋳造、ガラス生産などの産業振興を進めます。

49歳の若さでこの世を去った斉彬ですが、大久保利通や西郷隆盛など優れた人材を多く輩出し、斉彬の遺志を継いだ彼らは、明治維新を通じて斉彬が描いた日本の近代化を実現したのでした。