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四面楚歌(しめんそか)

2018-06-30

日本人によく知られ、かつ「チーム」にもまつわる故事成語をご紹介いたしましょう。

例えば重要なプレゼンテーションで孤立無援になり、ライバルたちにぐるりと囲まれ「わたしは四面楚歌だ!」なんて経験のある方もいらっしゃるかもしれません。

「四面楚歌」とは「助けがなく、周りが敵や反対者ばかりであること」を表す言葉としてあまりにも有名です。

紀元前202年、漢の劉邦と楚の項羽が覇権を争う際に垓下(がいか)と呼ばれる地に至り、そこで項羽が四方から聴こえてきた敵兵たちの歌に「時、利あらず」と悟った・・・

この故事は教科書や小説にも取り上げられ、現代の日本でも広く知れ渡っております。

しかし、ここで考えてみてください。

四方から聴こえたのが敵である漢兵たちの歌であれば、本来なら「漢歌」であったはず。

それが「楚歌」、つまり項羽自身が率いてきた国の歌であったところに「四面楚歌」が示す、真のリーダー論があるといったら深読みに過ぎるでしょうか。

なぜ漢歌ではなく楚歌だったのか。

それは漢によって楚の地が多く奪われたことに加え、楚軍から脱走した兵が多く存在したことによるようです。

一説には劉邦が、漢軍に降った楚人らに故郷の歌を歌うよう命じたとか。

歴史に「もし」はありませんが、想像を少しだけお許しいただけるのなら、勇猛果敢な項羽のことですから、聴こえてきたのが漢歌であればむしろ「敵を蹴散らさん!」と自らを奮い立たせていたかもしれません。

しかしながら実際には楚歌により、自国の民がいまや敵となり自分を包囲する現実を突きつけられた。

これは単なる「周りが敵ばかり」を超えた、孤独と絶望を項羽にもたらしたことでしょう。

天下無双の武将・項羽は、人材の流出で己の首を絞めたともいえます。

中国古代の戦場でも現代のビジネスでも、より苦しいのは「四面“漢”歌」より「四面“楚”歌」。

武田信玄の「人は城、人は石垣」ではありませんが、他社との激しい争いの中でも自社チームにほころびのないよう、常日頃から細かく気を配っていたいものですね。