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天下布武(てんかふぶ)に込めた思い「織田信長」から学ぶ

2017-10-18

天下統一の野望を抱き、戦国の世を疾風怒濤のごとく駆け抜けた織田信長は1534年、尾張守護代の家老・織田信秀の嫡男として生まれました。

26歳の頃、桶狭間の戦いでは数千の兵で数万の今川義元の軍勢を破ってその名を広く知らしめ、33歳で美濃国主・斎藤龍興を滅ぼして美濃を平定します。

このとき信長は「井ノ口」と呼ばれていた一帯の地名を「岐阜」に改めます。

岐阜という地名は、若き信長に知識と思想を授けた禅僧・沢彦宗恩(たくげんそうおん)が提案したといわれ、中国古代史に由来します。

「岐」は周の文王が岐山から天下を平定したこと、「阜」は学問の祖である孔子の生誕の地・曲阜(きょくふ)にちなんでいるといいます。

信長の本拠地となった岐阜には、平和と学問の都という意味が込められていたのです。

また信長がスローガンとして掲げた「天下布武」という言葉は一見、力ずくで天下を統一するといった意味に取られがちですが、その真意は違っています。

同じく沢彦の進言といわれるこの言葉は『春秋左氏伝』に記された「七徳の武を備えた者が天下を治める」ことに由来し「七徳の武を備える平和な国づくりを目指す」というのが本来の意味です。

「武」という文字には争いを防ぐという意味があり「暴力を使わず、徳をもって世の中を治めていこう」という信長の決意が表れていたようです。