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知恵と機転の実務家「石田三成」から学ぶ
2018-03-17
豊臣秀吉を支え、関ケ原の戦いでは徳川家康に真正面から対峙した石田三成は1560年、現在の滋賀県長浜市で生まれました。
父親に似て勉強家であり、3歳から寺で学問修行を始めます。
今も知られる「三献の茶」のエピソードをきっかけに秀吉に力量を見いだされ、側仕えとして召し抱えられたのが14歳頃といわれています。
その後の三成は、有能なる事務官としての才能を発揮し、秀吉の側近として活躍。
秀吉政権下、経済基盤を固めるための太閤検地と治安を維持するための刀狩りは、三成の具申によって行われたともいわれています。
そんな三成の大きな転機となったのが、秀吉の死でした。
主君・秀吉のため、私欲を捨てて滅私奉公していた三成は、秀吉の遺志を無視して独断専行を始めた徳川家康に反発、関ケ原の戦いへと突入したのでした。
関ケ原の戦いに敗れたのち、三成の居城・佐和山城に入った東軍の兵たちは、その城内のあまりの質素さに驚いたといいます。
金銭欲がなかった三成ですが、人材集めには貪欲でした。
禄高(ろくだか)がわずか4万石だったときに名参謀となる島左近を2万石で招くなど、優秀な家臣を召し抱えるためには厚待遇を惜しみませんでした。
強い組織を作るため、私腹を肥やすことはせず人材に投資する。
生きたお金の使い方を心得ていたリーダーは40歳でその生涯を終えました。