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あくなき向上心の果てに「足利義満」から学ぶ

2018-08-04

南北朝の統一に成功した足利義満は1358年に足利義詮(よしあきら)の嫡男として生まれました。

室町幕府初代将軍で、朝廷を南北に分かつこととなった足利尊氏は祖父にあたります。

尊氏が将軍の器には不足な義詮の姿に不安を抱きながら逝去した約100日後に誕生した義満は、幕府再建の宿命を背負って10歳にして征夷大将軍に就任。

南北朝の統一を目指す義満は、朝廷で天皇に次ぐ高い地位にいた日野家から正室を迎え、公家社会の実力者である二条良基から礼儀作法や和歌などの文化教養を学びました。

当時、政治の中枢は朝廷が握っていましたが、義満は裁判や商工業の権利も掌中に収め、次第に朝廷をしのぐ影響力を持つようになっていきます。

そして34歳の頃、半世紀以上にもおよぶ南北朝の分裂に終止符を打ったのでした。

野心はこれにとどまらず「日本国王」の称号を得て、明(みん)との勘合貿易も始めます。

こうして天皇家をもしのぐ権力を手に入れた義満ですが、50歳で急病により突然にその生涯を閉じます。

義満の死後、第4代将軍となった義持は、義満の政治をことごとく否定。

明との貿易も中止し、武家中心の政治に切り替えました。

圧倒的なカリスマ性を持ち強権的だった父・義満の政治手法は父にしかできないという決断が、150年以上にわたる足利政権の安定につながったのかもしれません。