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向学心と人情で開いた国交「ジョン万次郎」から学ぶ
2018-10-20
幕末にアメリカで教育を受け、幅広い知識を伝えて日本を開国に導いたジョン万次郎は1827年、現在の高知県土佐清水市の貧しい漁師の家に生まれました。
早くに父を亡くし、一家の大黒柱となったため若い頃から漁船にも乗るようになりました。
14歳で延縄(はえなわ)漁船に乗った際、暴風雨により遭難し伊豆諸島南部の無人島・鳥島に漂着しました。
幸運なことに、万次郎一行はアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号に救出され、寄港したハワイで落ち着き先を世話してもらえることになりました。
しかし、万次郎の賢さや機敏さに感心したホイットフィールド船長は、万次郎に教育を受けさせようと考えてアメリカに連れ帰り、生活の面倒を見ながら学校に通わせました。
アメリカで英語や航海術を学び、周囲の愛情を受けて成長した万次郎。しかし、次第に望郷の思いが募ります。
帰国を決意した万次郎はその資金を自力で稼ぎ、故郷を離れて10年後の24歳で日本に戻りました。
語学力や海外経験を評価されて旗本に取り立てられると、船長や仲間たちの恩に報いるために開国を訴え、日米修好通商条約の批准書交換に向かう咸臨(かんりん)丸にも乗船。
航海士としての手腕も発揮したのでした。
身分の上下や貧富の差を気にせず平等に人と接したという万次郎。
その原点はアメリカで触れた深い慈愛にあるようです。