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箕子の憂い(きしのうれい)

2018-10-09

人材を軽んじ天下を追われた殷(いん)朝(前1100年頃)最後の王・紂王(ちゅうおう)にまつわる成語をご紹介いたしましょう。

中国で暴君といえば「夏桀殷紂」、つまり夏(か)朝の桀王(けつおう)と殷朝の紂王がその代名詞とされますが、酒池肉林や、焚火の上に油を塗った銅柱を渡し罪人に裸足で歩かせる炮烙の刑など、悪行非道の限りを尽くしたとされる紂王に物申す家臣がいなかったわけではありません。

そのひとりが紂王の叔父にあたる箕子(きし)でした。

箕子は紂王が初めて象牙の箸を作るや、早々に恐れを抱きます。

『韓非子』によれば、箕子は「象箸を使えば素焼きではなく玉の器や犀角(サイの角)の杯を用いたくなる。

となればそこに盛る食事も豪華に、衣服も宮殿も・・・と際限がなくなる。

行き着く先はどうなるのか」と国の将来を憂い、ついには幽閉されることに。

そしてぜいたく三昧の果て約500年30代に及んだ殷朝は紂王で滅び「箕子の憂い」は「些細な事から大局を見極めること」や、それができる人材を表す言葉となったのでした。

ところで「象著玉杯(ぞうちょぎょくはい)」はぜいたくな生活を指す言葉としても知られ、邱永漢氏の随筆にも取り上げられていますが、箕子はただ「象著玉杯=悪」として紂王を諌めたかったのかといえば、そうではないかもしれません。

以下は「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一翁の述懐によりますが、翁は15歳の頃、江戸見物の土産に桐の本箱と掛硯を買って帰り、父の市郎右衛門氏に厳しく叱責されたとか。

その際に説かれたのが「象牙の箸」で、渋沢少年は「ぜいたくは“何故”ならぬのか」を心に刻んだといいます。

国を興すには富貴を即ち悪としては成り立たないと考え実業界の礎を築いた翁ですが、ただし身の丈に合わぬぜいたくは「際限がなくなる」がゆえに歯止めが必要であることを「箕子の憂い」から学んだというのです。

企業の法令遵守や社会的責任が盛んに論じられ、翁の唱えた「論語と賛盤」あるいは「道徳経済合一説」に再び注目が集まる今、己の心や組織に箕子の精神や慧眼(けいがん)があるかどうか、3千年の時を超えた警鐘にあらためて耳を傾けてみませんか。