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リーダーシップとバイタリティの人「伊藤博文」

2018-10-14

初代内閣総理大臣として近代日本の基礎を築いた伊藤博文は1841年、現在の山口県光市で農家の長男として生まれました。

勤勉だった父は、その人柄を見込まれて長州藩士・伊藤家の養子となり、博文も利発さを見いだされて勉学の機会を与えられると一時は松下村塾にも籍を置きました。

木戸孝允らと攘夷運動に参加した博文は、ここでも頭角を現します。

その後、長州藩家老の計らいで、22歳の頃に井上馨らとイギリス留学に旅立ちます。

当時のロンドンは港には蒸気船が停泊し、街中には工場が建ち並び、蒸気機関車も走っていました。

近代文明を目の当たりにし圧倒された博文は、日本国内で攘夷にこだわる愚かさに気付き、開国して日本の近代化を目指そうと考えを改めたのでした。

26歳で大政奉還を迎えると、実力を買われてその後も順調に出世道を進み、27歳で初代兵庫県知事、30歳で岩倉使節団の副使として渡米、44歳で初代内閣総理大臣に就任します。

理想の国作りに向けて、国家予算や議会制などを盛り込んだ大日本帝国憲法の起草も手掛けました。

60代で活動の場を韓国に移すと68歳で凶弾に倒れるまで、強いリーダーシップと驚異のバイタリティで働き続けました。

「人は誠実でなくては何事も成就しない」という博文の言葉からは、国の未来を思い真っすぐに情熱を注いだ様が感じられます。