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信義を重んじ愚直に生きる「福島正則」から学ぶ
2018-11-27
豊臣秀吉に仕え、槍一本で大名にのし上がったことで知られる福島正則は1561年、現在の愛知県あま市に生まれました。
秀吉とは縁戚関係にあり、幼い頃から秀吉のそば近くに仕えていました。
かなりの剛腕でも知られ17歳で初陣を迎えると早々に手柄を挙げます。
その後も功績を重ね、1583年の賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで輝かしい功名を立てたことにより、将来を大いに期待されるようになりました。
しかし37歳のとき、秀吉が死去しその運命は変わり始めます。
同じ豊臣の家臣でありながら反目関係にあった石田三成を倒したいという思いから、正則は徳川家康の思惑に乗せられ1600年の関ケ原の戦いでは家康側として参戦。
ここでも戦功を挙げると安芸・備後(びんご)の2カ国、約50万石を与えられて大大名に出世します。
広島城主となった正則は、政治でも手腕を発揮します。
領内をくまなく巡視し、重要な土地には城を造るなどして組織体制を強化、街道や航路など主要交通路を整備しました。
さらに年貢の率を下げると商人とも積極的に交流して畳表や酒などの産業も奨励し、堅実で近世的な治世を行ったのでした。
しかし、2代将軍・秀忠に領地を没収された後は信濃に閉居し63歳で世を去りました。
豊臣家に忠誠を誓うも家康の老練さに翻弄(ほんろう)された愚直で不器用ともいえる生き様でした。