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人情、技術、先見性の賢人「榎本武揚」から学ぶ

2018-12-29

明治政府で手腕を発揮した榎本武揚(えのもとたけあき)は1836年、旗本の次男として江戸に生まれます。

学者肌で理系の父の血をひいた武揚は、早くから昌平坂学問所に入学。

ジョン万次郎に英語を学び、18歳で箱館(函館)奉行のお供で蝦夷地(北海道)・樺太を視察します。

このときロシア艦隊と遭遇し、欧米列強の脅威を目の当たりにすると国防の重要性を肌で感じて海軍の道を志します。

長崎海軍伝習所に学び、技術者としての才能を開花。

26歳で咸臨丸(かんりんまる)に乗り込み、オランダ留学へと向かいます。

そして5年の留学を終えて帰国した日本は、幕藩体制が揺らいで終わりを迎えようとしていました。

帰国後、半年も経たずに大政奉還が行われました。

武揚は徳川政権再興を目指し、旧幕府艦隊を率いて蝦夷地に向かい五稜郭と箱館を占領しましたが、時は味方せず、新政府軍に敗れて2年半の獄中生活を送ります。

しかし、その高い能力を請われ、無罪放免となって新政府に入ります。

38歳でロシアとの領土問題を解決するべく特命全権公使に任命されると見事、難しい交渉をまとめました。

明治政府の高官となっても生き残った幕臣への援助を惜しまなかったといいます。

北海道開拓事業にも情熱を傾け、生活に困った幕臣たちを助けると同時に、その先見性と技術力で日本の近代化に大いに寄与しました。