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間という余白で信頼を得る
2019-01-20
禅の世界では、花を手でつまむことを「拈華(ねんげ)といいます。
ある日、お釈迦様が大衆を前に説法をしたとき、何も言わずに花一輪をつまんでみんなに見せました。
「さあ、説法をしますよ」と大衆の前に立ったのに、一輪の花をすっと差し出しただけで何も言わないお釈迦様に大衆はぽかんとしています。
しかし、その中で、迦葉(かしょう)という尊者だけがにっこりと微笑みました。
お釈迦様は迦葉に告げたそうです。
「言葉では説明できない仏の心が伝わったのだな」。
これが「拈華微笑(ねんげみしょう)」という説法で、ここから転じて、言葉を使わずに心から心へ伝えることを拈華微笑といいます。
大切なことを伝えるとき、私たちは言葉を探し、その言葉に思いを込め、時に熱く語ったりします。
けれど、いくら適切な言葉を選んで熱弁を振るっても、思うように気持ちが伝わらないという経験はありませんか。
言葉を重ねれば重ねるほど伝えたいことから遠ざかってしまう。
言葉にはそんな一面があります。
言葉では伝えきれない思いというのは確かにあるようです。
「目は口ほどにものを言う」といいますが、沈黙によって言葉以上に自分の思いが伝わる場合もあります。
知り合いに、患者の気持ちを汲むのがとても上手な看護師がいます。
特別な会話のテクニックを使っているわけでもなく、話題豊富というわけでもありません。
どちらかといえば言葉数は少ないのに、短時間で患者の信頼を得る秘訣は、彼女が会話の合間に作る「間(ま)」にあるようです。
ここぞというときは、微笑みながら相手の目を見てゆっくりうなずく。
「間は余白のようなものです。
間があると患者は自分の考えを整理したり冷静になったりできます。
だから勇気をもって沈黙しましょう」とのことでした。
本当に伝えたいことがあれば饒舌(じょうぜつ)よりも拈華微笑で。
一輪の花と微笑みがあれば伝わるものがあるのでしょう。
夫婦喧嘩をしてギスギスした雰囲気のとき、一輪の花の代わりに自分の手をそっと奥さんの手をそっと奥さんの手に重ねてみてください。
禅の世界では「ごめん」のひと言よりはるかに「ごめんなさい」が伝わるようですが、日常生活ではいかがなものでしょうか。