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士魂商才の冒険家「山田長政」から学ぶ

2019-01-06

徳川家による天下泰平がもたらされた江戸初期、夢を求めてシャム(タイ)に渡り活躍した山田長政。

その出自には諸説ありますが、1590年に駿府(すんぷ:現在の静岡県)で商人の子として生まれたといわれています。

城下町である駿府が活気を帯びる中、徳川家康の家臣だった大久保忠佐(ただすけ)の駕籠(かご)かきに任ぜられ、長政は武士の身分となります。

しかし、江戸幕府成立後は戦乱も少なくなり、武士の出世のチャンスも激減。

家康が起こした海外貿易ブームに触発される形で、22歳の頃にシャムに渡ったのでした。

その当時、東南アジア各地には、海外で一旗揚げようと渡航した戦国浪人を中心に日本人町が形成されていました。

長政はシャムの王都・アユタヤの日本人町にたどり着くと「自分は織田信長の縁者だ」とはったりをきかせて人々の心をつかみ、優れた弁舌と面倒見のよさで日本人町のリーダーとなります。

その後、貿易商としても才能を開花させ、さらには日本人傭兵隊を組織してシャムの国防にも大いに貢献しました。

その功績を認められ、アユタヤ王国の貴族の地位も得たのでした。

しかしその後、王朝一族の確執に巻き込まれると辺境の地に追いやられた揚げ句、毒殺により命を落とします。

武士の心と商人の才を併せ持ち、在外邦人の暮らしの安全と安定に心を砕いた40年の生涯でした。