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島津に暗君(あんくん)なし「島津義弘」から学ぶ

2019-05-06

戦国時代に九州全土の制覇と島津家存続に奔走した島津義弘は、1535年、薩摩国に生まれました。

これは織田信長が生まれた翌年で、2年後には豊臣秀吉、7年後には徳川家康が生まれています。

島津家15代当主・貴久を父に、治政・文教に秀でた忠良を祖父に持った義弘は、4人兄弟の次男として幼い頃から勇武を好み、剣術を学びながら山中に野宿して野陣に親しむ日々を過ごしました。

19歳の頃に岩剣城の戦いで初陣を飾って以降、九州制覇の野望に燃えて常に戦の最前線に身を置き、敵には時に鬼と恐れられるほどの武勇を誇りました。

兄弟の中でも特にリーダーシップに優れ家臣に慕われたという義弘ですが、その基盤は祖父・忠良によって施された教育にありました。

忠良は神道、仏教、儒教をベースに武士の道を説いた「日新公いろは歌」を完成させ、これは後に薩摩藩の家士教育の核となりました。

そんな忠良の教育は、画一的に知識を詰め込むものではなく、4兄弟の個性に合わせて教えを授けていたそうです。

例えば戦における秘策についても義弘と長兄・義久へは異なる答えを示しました。

こうして義弘は「島津の退き口(のきぐち)」として知られる関ヶ原の戦いでの戦略的な撤退をして、島津の名を強烈に残したのです。

複雑な思考と単純な決断、そして決断を貫く精神力は、今の世にも必要な力といえそうです。