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春眠暁を覚えず(しゅんみんあかつきをおぼえず)

2019-07-14

年度替わりに「ついうっかり飲み過ぎて・・・」なんてことはありませんか?

そこで「ついうっかり」にまつわる故事をご紹介します。

春ならではの「つい」といえば、もうお分かりですね。

「寝過ごした」言い訳にもされる、あの名文句です。

「春眠暁を覚えず」とは唐代の詩人・孟浩然(もうこうねん)が書いた『春暁』の一節。

日本でも歌舞伎の『鼠小紋東君新形(鼠小僧)』や『青砥稿花紅彩画(白浪五人組)』に登場するほど広く知られていますね。

何より「春の眠りは心地よく、夜が明けたのも知らず眠り込む」感覚が、誰にとっとも「あるある!」と頷けるもので、だからこそ今なお朝寝坊の理由として老若男女問わず、時に冗談めかして語られているのでしょう。

ところで上述したとおり「春眠暁を~」は漢詩の一節で、その後に素晴らしい春景が続きます。

「処々啼鳥を聞く/夜来風雨の声/花落つること知る多少」(目覚めればあちこちから鳥のさえずりが聞こえる/昨夜は嵐の音も耳に届いたが/せっかく咲いた花もどれだけ落ちてしまったことだろうか)。

春の嵐の後に響く鳥の声に、固いつぼみをほどいたばかりの花たちと、散り敷かれた花びら・・・春を愛おしむ孟浩然の想いが『春暁』には詰まっているのです。

さて春の朝を称えるといえば「春はあけぼの」に始まる『枕草子』を思い出す方も少なくないでしょう。

清少納言の言を借りれば「やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」とのことで、ここに『春暁』の情景を重ね合わせると、四季の中でも最も尊ぶべき朝が浮かび上がるようです。

清少納言は自ら使える藤原定子から「香炉峰の雪いかならむ」と問われるや即、白居易の唐誌に思い当たり定子の真意を汲めるほどの才人で、中国古典にも通じていました。

ここからは推測の域を出ませんが、もしかすると孟浩然の描く春暁に「春の朝っていいわよね、分かるわ」と共感したこともあったかもしれません。

いずれにせよ春は美しく、季節を楽しむ余裕は忘れたくないもの。

ビジネスパーソンとしては「ついうっかり!」の申し開きに古文を引くのではなく、仕事日は清少納言、休日は孟浩然よろしく過ごしたいものです。